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祖母が亡くなった。

 11月末、仕事中に祖母の容態が悪化していると母から連絡があり、急遽帰省することになった。祖父は僕が小学生のときに亡くなっている。祖母はそれから20年近く群馬に一人で住んでいたのだけれど、数年前に実家の近くにある老人ホームに引っ越した。老人ホームを選んでいるときに一度会ったきりで、最後がいつだったか記憶にない。覚えている最後の記憶は、突然老人ホームにいる祖母から支離滅裂な電話がかかってきたことだ。同じ施設で働いているのに、母が滅多にこないという愚痴だった。母は施設から遠い印刷工場でパートをしている。

 週末に兄とレンタカーで実家に帰る。帰路の2時間は、まともな会話をしたことがない兄との時間を潰すために、iPhoneから音楽を流したり通り過ぎる車のナンバープレートや看板をみて韻を踏む練習をしていた。熊谷なら、うあああ。トヨペットなら、おおえっお。アバウトなら、ああうお。川越なら、ああおえ。

 その日は、いとこ家族と焼肉を食べて寝た。

 翌日、家族とホスピスに行く。山の中にある、施設全体がピンクの新興宗教の施設のようなホスピスだった。増設を重ねた建物独特の、入り組んだ道を歩いて病室に辿り着くと、頬のこけた祖母がベッドに横たわっていた。母が起こすと、白目のない真っ黒なくもった、起き抜けのような目をこちらに向けたように見えた。母が、ほら来てくれたよ、と僕らの名前を繰り返す。酸素マスクをつけた祖母の口が金魚のようにパクパクと動く。しつこく呼びかける母に、ああうお、ああっうおと繰り返す。昨日はもう少し意識がはっきりしていたのだけど、と申し訳なそうにいいながら母は繰り返し呼びかける。もういいよ、とは言えなかった。ああうお、ああうお。昨日は話もできたんだけどね、と再び申し訳なさそう母がいう。僕には何をいっているのかわかっていた。なぜか、わかるよ、とは言えなかった。パクパクと動く口とともにずれる酸素マスクを母がなおす。母だけが呼びかけ、父も僕も黙る中で、兄が、またくるね、といった。どうして、と思いながら僕も、またね、といって病室を出た。帰りの車で、白菜畑をみて、大きい白菜だね、くれないかな、といったあとに、昨日はもう少し意識があったんだけどね、と母がまたいった。実家についてしばらく休んでから、兄と東京に戻った。

 4、5日後、母から、お祖母ちゃん頑張ってくれていますとメールが届いた。朝を除けば深夜でも起きてるから、何かあればいつでも連絡してと返したその翌日の夜に祖母は亡くなった。享年も名前もわからない。ボケ始めた祖母との電話と、わかるよと伝えようとした最後の会話は覚えている。