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猿島に行ってきた

 ブログを書きましょう、と頻度は減ったけれどあいかわらずいい続けていて、そのくせ自分はもうすっかり書かずにいるのは説得力がないだろうと、もう何年も、そうか、継続してブログを書かなくなって、7年以上も経っていることに気づいて、愕然としている。そもそも、このセリフは人のものを盗んだのであって、あたかも自分の言葉であるかのように言っているのもどうなのだろうと思うところは当然ある。自分の言葉なんてものがあるのかといえばおそらくほとんどないし、ということは盗んだというのはおかしくて、それにその思いは嘘偽りないのだから仕方がない。だがしかし。ブログを書いて欲しいというのは、きっとどこかに読む人が必ずいて、それは僕かもしれないし、違う人かもしれないのだけど、でもきっと誰かが読んでいて、書かれる言葉はあなたの言葉である。それはあなたです!可能性のひとつである僕は、ブログを昔のように読んでいるかというと、読んでいない。ということは嘘偽りない、と書くことに説得力がない。どうしてこんなに執着するのかわからない。単なる口癖なのか。

 6年以上前に1度あった知人と、長らくお世話になっている知人と、3人で猿島に行った。どちらもインターネットを介した知り合いだ。ふたりとも仕事でも関わっている。

 振り返れば。周りを見渡せば。インターネットで知り合った人ばかりだ。いちいち言葉にする程度には、インターネットでの交流を、何か別のものかのように考えているところが僕にもあるようだ。インターネットはリアルです。僕はインターネットで出会う方が得意でした。仕事も友達も趣味も恋人も、インターネットでつながりました。異質で特別な何か別のものということではなく、単に思い入れが強いものというだけか。

 不思議だった。6年以上前に初めて会って、一度、渋谷で数時間ほどお茶をして、個人的な話もほとんどしなかった人と、再会して、仕事を一緒にしていて、さらに猿島にいる。終始ビールを飲んで、カラオケにも行った。最後に歌ったのはtahiti80のheartbeat。いい曲だけど思い入れはない。うっすらと、みんな、やけっぱちなところがあったような気がする。楽しいと思った。カラオケのあと、風が吹き荒れる寒空の中で海まで歩いて行ったのは、どう考えても余計だったのだけど、たぶん必要だった。

 書くことで求めていたものが、なくなったのだと思っている。あのときはいまよりも自分を認めてくれる人が欲しかったし、寂しかったし、頭良くて才能があってセンスも良いと、わかってくれる人がどこかにいると思いたかったし、適当に書き散らした言葉が求められているように感じられるのも気持ち良かった。知り合いたかった。今はもう、身の丈がわかってきている。余計なことは言いたくない。できるだけ黙っていたい。言いたいことも別にそんなにない。お金も時間もないのに、いろんなものがまとわりついてる。それが僕を食わせている。それに抗いたい気持ちもない。そんなに居心地が悪いわけでもなければ、やっていけないということもない。

 みんな書かなくなったな。どうしてだろう。僕は本当に書いて欲しいと思っているのだろうか。喫煙者が、禁煙した人間にタバコをすすめるみたいなものなのかもしれない。共犯になりましょうよ。僕がタバコを吸い続けられるように。それでじゃあ僕がどうして書きたいと思っているのかを考え始めたら、ここで書いてきたことがどうも嘘のように思われてきた。だからやっぱり、書くのはやめた方がいいのかもしれない。

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